こんにちは、いずみんです。
十数年前に0期の乳がんとなり、放射線治療と部分切除の手術をしました。入院は2泊3日で、通常より早く退院した帰り道で、
母は私の重い荷物を持ってくれながら「こんな身体に産んじゃってごめんね」と自分を責めていました。
その頃はまだ遺伝子検査が一般的ではなかったので、落ち込む母に
「遺伝子検査をしたけど遺伝じゃなかったよ!」って言ってあげたかったです。
もくじ
・母の肺がん
・緩和ケアと面談の費用
・遺伝子検査のカウンセリングと費用
母の肺がん
その母も5年ほど前に大動脈瘤の手術後に肺がんがわかり、抗がん剤治療を行ないましたが、大腿骨に転移するまでがとても早かったです。
病院からは「うちではリハビリはできないので、別の病院を紹介しましょう」と言われて転院をしました。母は「家に帰るためにリハビリを頑張るね」と気持ちが上向きになりましたが、着いた病院は終末期の姥捨て山のようなところでした。
ナースコールを押しても無視するような病院も、リハビリ頑張ってと送り出した大学病院もいまだに許せません。
大学病院からと姥捨て山病院からの移動にはストレッチャーで運んでくれる専用のタクシーを手配します。運転手さんと荷物を持ってくれる男性二人で車代として2~3万円程度はかかりました。保険ではおりませんが、高額医療控除の申請の中で交通費として申請をしました。
緩和ケアと面談の費用
「転院の条件は余命2週間であること」でした。
評判の良い緩和ケアの病院を3つピックアップし、直近で面談ができる病院から順番に電話をしました。
ちなみに面談にも5000円程度の費用が掛かります。また面談をして必ずしも入れるわけではないのでご注意ください。
面談の三日後に、第一希望の病院から「今1室空いたけどまだ来る気はありますか?」と電話がありました。「明日にでもすぐ行きます!」と転院の話を母にして手続きをしました。母には正直に「緩和ケアの病院に転院する」と伝えました。何とも言えない表情でもう治らないんだね。そういう感じでした。本当にこんなことくらいしかできなくてごめんなさいという気持ちでいっぱいでした。
転院先の病院は設備は古いのですが、ほかの病院でも看護師さんがとくによくできてる人たちと評価が高かく、うちより先に声がかかったら決めた方がいいですよとアドバイスをいただきました。
実際、緩和ケアの看護師さんや先生方は神様から選ばれたのではないかと思うほど素晴らしい人格者でした。
母を人間として尊重してくれて「おばあちゃん」などとよばず、きちんと名前で呼んでくれました。また母を笑顔にしてくれたのはトイレです。
おむつになった時から「申し訳ない」と言って食べる量を減らしたりしていましたが、「この二日間便秘ででてないよね?私だったら苦しいな。良かったら出すように頑張ってみませんか?」と。
トイレの時には家族も部屋から出るように言われます。下着も替えてもらえました。その間私たちは買い出しにいったり、ロビーでお茶をいただいていました。部屋に戻ると笑顔の母がいるんです。
本当に看護師さん、ありがとうございました。
またチャプレンもいらっしゃいました。
母が辛いことや悩みを話すと、それにふさわしい一説を読んでくれます。
私たちはキリスト教ではないのですが、お話の後はアーメンと答えます。そのあとは母が泣いてしまったときは別の話をしてくださいました。
ボランティアさんも豊富でした。お茶とお菓子を用意してくれる方、
手のマッサージとネイルをしてくれる方、
ドックセラピーとキャットセラピーもありました。
セラピー犬以外でも飼犬や猫などペットも入室OKでした。
飼われていたペットも飼い主が最期だと認識するかどうかでそれからの生き方上が変わって来るような気がしますし、ありがたいなと思いました。
入院時に先生からはこちらに入院される方は大体二週間で亡くなります。
痛みは取りますが、治療はしません。という書類に印を押してからの入室となった時です。
覚悟を決めて、会社に有給の届け出をして昼間は私が母のそばに。
夜から朝までは妹が泊まり込みで看病をする体制にしました。
看護師さんも髪や体を拭いてくれるのですが、足湯をしたり、マッサージをしたり、音楽を一緒に聴いたりしました。
家で作ってきたおにぎりや、病院のキッチンでピザや焼きそばを作ったりしながらみんなで一緒に食べていたのでまるで家にいるかのような雰囲気づくりができました。
転院して4週間目の朝に、足の裏が紫色になっていました。
従妹が肺がんで亡くなる日も斑点ができたと聞いていたので、すぐにナースコールをしました。先生からは「2~4時間くらいで亡くなります。ご家族を呼んでください」とのこと。
母は最期に力を振り絞るように、私と妹の手を握りながら「姉妹仲良く。ありがとう。」と、私たちが見守る中眠るように亡くなりました。
振り返ると病院選びや母を苦しめた抗がん剤治療はいったいなんだったのか。なぜもっと早くに気が付かなかったのか。悔やむことばかりです。
それから3年後に、私が乳がんを再発をしました。
もちろん、母が通っていた大学病院ではなく、一回目の手術をしていただいた病院に診てもらっています。
遺伝子検査のカウンセリングと費用
叔父や叔母も肺がんで亡くなっていたので、私も遺伝性のものであれば、手術の際、予防のために両胸切除と子宮もとった方がよいとのことで遺伝子検査をすることになりました。まずは電話で「遺伝診療部受付」に自分で予約の電話をします。
●完全予約制の月~金曜日の平日のみ
●面談時間は1時間
●事前に家族のがんやその他の疾患の情報をメモしていく
●遺伝カウンセリング(相談料)は条件に当てはまると保険適応になる
〇自費で受ける人は「院内の方は3000円(税別)」「院外からの紹介は12000円(税別)」でした
●遺伝子検査は採血です
●検査内容はカウンセリング時に相談です
普通に検査をすると90万円かかるそうですが、2020年4月より以下の条件にあてはまる人は遺伝性かどうかを知るための遺伝子検査や検診・予防的切除が保険適応になったため、私は保険の範囲内で受けることができました。
保険適応になる条件
●60歳以下でトリプルネガティブ乳がんになった方
●両方の乳房にがんを発症した方
●男性乳がんの方
●すでに遺伝性のがんであることがわかっている血縁者がいる方
〇その他、家族歴から保険適応になる場合もあり
検査後、約二週間でアメリカから結果が届くとのことでしたが、10日後には書類が届きました。全文英語なので先生に結果を聞いたところ、「遺伝性ではない」ということがわかり、今回の手術では右胸と子宮は残されることになりました。
左胸の手術はあるのですが、子宮もとなると覚悟もいるし、手術も二回別日にしなくてはいけないとあったので、本当にほっとしました。
ただ、保険適応でなければ90万円もかけて「異常なし」だけだとそれはそれでもっと詳しく教えてほしいような気もします。
その後知り合った方は、この遺伝子検査で遺伝性とわかり、両胸と子宮の手術をされたそうです。
ちなみに失った胸は、保険適応で再建ができます。
大きな病院だと全摘と再建が同時に行なうことができるので、一回の入院で済ませることができます。
再建にも人工と自家組織再建があり、私は自家組織再建の広背筋皮弁を選択しました。色々と悩んでのものなのでまた次の機会に書きたいと思います。